| 愛住町 あいずみちょう |
町名は「隣人を愛しながら助け合って仲良く住む町にしたい」との希望を込めたと思われ
る(新宿区町名誌)。
たしかフーテンの寅こと渥美清さんが眠っているのはこの辺りのお寺さんという。
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| 荒木町
あらきちょう |
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町名は荒木志摩守政羽(浅野内匠頭の赤穂城を受け取った人)の屋敷があったことによる。
明治時代は歌舞伎の芝居小屋が建てられたり、料理屋や待合が出来たりして花柳界となる。
いまは昔の雰囲気を少しだけ楽しむことが出来る。
実はこの界隈は池がある。縮んでしまったようだがまだ魚や亀がいる。水はまだ湧き出ているとか。
この界隈は特集を組みたい。
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| 市谷加賀町
いちがやかがちょう |
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加賀屋敷跡は加賀原とも屋敷とも呼ばれ、幕初加賀百万石金沢藩主前田光高夫人(水戸光
圀の兄頼房の娘で清泰院と号し明暦二年(1656)に30歳で逝去)の屋敷があったこと
による。
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| 市谷台町 いちがやだいまち |
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町名は谷に対して台地であることによる。新宿通り住吉町の交差点から台町坂を上がる両
側の町。この町の町名は新しい。
明治の頃、市谷監獄があったそうだが、地形は戦後の道路拡張などで大幅に変わっている。
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| 市谷仲之町 いちがやなかのちょう |
尾張藩徳川家上屋敷と河田町別邸との中間にあるので仲之町の俗称があった。
大久保、早稲田方面の抜け道になっており、タクシーのいてき
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| 市谷本村町 いちがやほんむらちょう |
市谷村の最初の開墾地であることによる。
陸軍士官学校と幼年学校があった。
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| 市谷薬王寺町 いちがややくおうじちょう |
東外苑通りに面してあった肝心の薬王寺は、維新後に廃寺となり、法灯は大塚の護国寺に移された。
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| 片町 かたまち |
『新宿区町名誌』では「市谷片町は市谷本村から分かれた新しい区域(町)ではなかろうか」とする。
片町は猫の額ほどの小さな街である。 |
| 河田町 かわだちょう |
川田も河田も川の傍にある田圃の意で特別の由来はない。
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| 坂町 さかまち |
曙橋は坂道が多い。
しかも風情のある坂道が多く散歩も楽しい。
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| 左門町 さもんちょう |
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| 三栄町 さんえいちょう |
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| 住吉町 すみよしちょう |
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| 富久町 とみひさちょう |
久しく富む町への願いを込めた嘉語による。富久町谷は紅葉川渓谷中最大で四谷の一谷を
なすと考えられている。
東京監獄が明治時代にあったようだが実際の場所は特定できていないようだ。
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| 舟町 ふなまち |
アンパンマンショップがある
町の中央を走る通りの俗称船板横町から拝借。船板は四谷がまだ杉の森だった江戸の初期
に船板を作る杉材を伐り出していたことによる。元来四谷は杉の産地で「四谷丸太」のブランド名は現在も浸透している。地名の由来東京23区のホームページより
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| 余丁町 よちょうまち |
御旗組屋敷の横町(路地)が四条(4本)あったので初めは大久保四丁町と俗称された。
四≠フ字が死≠ノ繋がるというので、明治の改編のときに余≠フ字に改めた。
地名の由来東京23区のホームページより
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| 四谷 よつや |
| 「よつや」の由来については四谷説(江戸砂子)と四屋説(府内備考)があるが両説ともそれだけでは説明が付かないところがあるようです。詳しくは地名の由来東京23区のホームページで。
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